授業とゲームは同じだという持論があります。
あんまり同じようなことを言っている人と出会ったことがありません。
その考え方を説明しようと思います。
きっかけ
きっかけは、総合的な探究の時間のプログラムを作っている時です。
総合的な探究の時間は年間35時間、それを3学年分です。
総合的な探究の時間は、他の教科と異なり、0点や100点といった点数評価がかなり難しい。ルーブリック評価というものもありますが、ルーブリックはあくまでもパフォーマンスの評価で、知識や技術・技能が身についたかどうかについてはまた別の評価をします。総合的な探究の時間は、まさに「総合」なので、知識や技術・技能も含めて、思考力や判断力、表現力なども評価をしなければなりません。
さらに、学校独自でプログラムを作るので、教科書会社が発行している教科書ではなかなかぴったりなものがありません。日本人は「手前味噌ですが…」文化があるので、なかなか自分達が作ったプログラムに自信を持って語るというのがなかなか難しいこともあります。
また、答えがない問いについて探究し続けるので、時間が膨大にかかります。生徒にとっては、「なんでこんなことしなきゃいけないの…?」とか「つまらん…」という時期もありました。(こうなってしまうのは僕のせいでもあります)
そういう状態で、探究の企画をするというのはかなりハードです。試験というモチベーションの上げ方もなく、インセンティブのようなモチベーションの上げ方もありません。僕の困りことは、「なんで探究ってこんなにやる気が出てこないんだろう??」ということでした。
そこでいろいろ自分の過去に遡って考えてみたところ、そういえばマリオのようなゲームは没頭していたことに気づいたわけです。
自分はマリオでもないので、ピーチ姫を助ける義理もありません。でもなぜかマリオを動かしている自分がいる。それに、よくよく考えれば、マリオのゲームの取り扱い説明書を読んだことはありません。にもかかわらず、コントローラーを握って、ジャンプなどの操作をしていました。さらに、ゲームはシナリオがあって、電車のように目的地は同じです。ゲームは1+1=2と同じ、答えが一つという正解主義の世界にもかかわらず、のめり込めるようになっています。
なぜゲームはこんなにのめり込めるのに、探究はのめり込めないんだろう?
逆に、ゲームののめり込み方を、探究に生かすことができれば、のめり込めるようになるのではないか?
というのが、探究とゲームを同じように考えるきっかけになりました。実際、ゲームを詳しく分析すると、人がのめり込めるポイントがわかってきました。また、そのポイント自体が、学びに繋がっていくことがわかりました。これを、「ラーニングデザイン」と呼ぶようにしましょう。
マリオから見る「ラーニングデザイン」ポイント
世界でほぼ知らない人がいないと思われる「マリオ」も「ゼルダ」も、たった一人の人物によって生まれました。
それが、任天堂の宮本茂氏です。世界的に有名な日本人の一人です。素晴らしいクリエイターが同じ日本人ということに言葉にならない嬉しさを感じてしまいます。
さて、スーパーマリオブラザーズの画面を立ち上げてみると面白いことがわかります。
マリオは画面の左端にいる
当たり前すぎて、だから何だ、と思う人もいるかもしれません。
ところが、初めてコントローラーを握った子供たちは、マリオが画面の左端にいることで、無意識のうちに「マリオを右に動かす」ということがわかります。
また、少し歩くと、ブロックとはてなブロックが配置してあり、クリボーが向かってきます。スーパーマリオブラザーズは、後戻りができない仕様になっており、これもマリオのゲーム性を表しています。クリボーが迫ってきますが、初見の場合はこの生き物が敵か味方かわかりません。ぶつかると倒され、リスポーン位置に戻ります。ここで子供たちは敵がいることを認識し、当たるとやられる(1機なくなる)ことがわかります。
再スタートを切ると、クリボーが迫ってくる中で、逃げようとするとちょうど良いタイミングで上にブロックが配置されています。ボタンを連打するとマリオがジャンプし、クリボーを踏み潰すことができることに気づきます。
また、ブロックを叩き、コインを入手します。もしくは、はてなブロックの場合、キノコが出てきます。キノコは土管に跳ね返り、マリオにぶつかるかもしれません。すると、ポパイのように大きくなります。
まとめると、この最初のギミックで、
1:マリオは右に行くゲーム
2:敵に当たると1機なくなる
3:マリオはジャンプできる
4:敵は踏み潰すことができる
5:ブロックを叩くとコインが出てくる(ことがある)
6:はてなブロックを叩くとキノコが出てくる(ことがある)
7:キノコに触れると大きくなる
ということを学ぶことができます。
もちろんはてなブロックは、マリオの状態によって出てくるものがフラワーの場合もありますし、1UPきのこの場合もありますので、全ての説明になっていうわけではありませんが、1ー1の最初のギミックで、マリオの本質を全て説明できていることがわかります。
しかも、これを取説で説明しているわけではありません。実際のゲームの中でコントローラーを動かし、(機数を失いながら)学習していきます。
隣に先生がいて、マリオとは…と延々と説明されることなく、自分でマリオの動かし方を見つけ、探究し続けているのだと思います。
チュートリアルの重要性
マリオの1−1ステージは言うなれば、チュートリアルです。
どういう行動をすれば、マリオというゲームは始まり、終わるのか。
そのゲームのルールはどうなっているのか、をプレーヤーに教えるステージです。
このチュートリアルがうまく説明がなされず、難しいギミックを置いてしまうと、プレイヤーのハードルが上がり、それこそ「なんで自分がピーチ姫を助けなきゃいけないんだ」と思ってしまうでしょう。
スーパーマリオブラザーズは、難易度が緩やかに上がっているゲームなのです。
難易度が上がることでプレイヤーは新たなスキルを学び、ボスと戦う時にはこれまでのゲーム体験の中で学んだスキルを総動員してボスという課題を何とかして乗り越えようとするわけです。
ゲーム業界的には、レベルデザインというようですが、ラーニングデザインにおいても同じことが言えると思います。
チュートリアルを丁寧に作り、「できた!」という喜びを作ることで次の階段を登ろうとする意欲を生み出すというわけです。
この階段を探究プログラムの中に組み込むことで、モチベーション=学びに向かう意欲が生まれるのではないかと考えました。
みなさんの学校で行っている総合的な探究の時間では、探究活動で使うスキルやルールをチュートリアルで十分に伝えきれているでしょうか。マリオから学んだラーニングデザインを生かして、確認してみてはいかがでしょうか。
ということで、マリオから学ぶラーニングデザインをご紹介しました。
それではおのおのぬかなく。