いつになっても試行錯誤と学びの毎日

とある教育コーディネーターが学校でやってきた実践と失敗の数々

アルバイトと探究とボランティアと。

*自分のTwitterから一部転送しているので、ところどころ変な言葉遣いがありますがご了承ください。

一応このアカウントです→ https://twitter.com/pro_koumin

 

「社会経験としてアルバイトをした方が良い」という意見があります。

アルバイトではなく「ボランティア」や「研究(探究)」「販売体験」だとダメなのでしょうか。

というのも、高校ではバイトが禁止の学校もあり、しばしば町の方から「バイト解禁にしてほしい」との声を聞くからです。その理由は「社会人経験になるから」という意見が多いです。

 

「アルバイト=お金を稼ぐことができる/ボランティアや研究、探究=お金を稼ぐことができない」という違いはあると思いますし、雇う側のコンプライアンスや法律的に違うのは理解できます。

 

例えば、全く同じ能力や経歴、学歴で、「10件バイト経験あります」という人と「10件長期ボランティアしてました」「10件の企業案件の研究してます」という人たちとでは採用確率が変わるのでしょうか。社会人経験になるのであれば、バイト経験が多い、長い方が採用確率が高いと思われます。

 

「お金をもらっているから責任感がある」というのもわからなくは無いのですが、個人で行う探究活動や研究は、「お金をもらっていなくて行動するから主体性がある」とも言えますよね。

例えば、「子供たちに勉強を教える」という行動は、バイトであれば「塾のバイト」で、一方探究活動やボランティア、研究であれば「学習ボランティア」「授業研究」と言えます。

同一労働同一賃金」の主張で言えば、同一の労働内容は同一の付加価値を出しているわけなので、子供たちに勉強を教えるということがバイトであっても探究であっても同じ内容であれば、同一の付加価値を出しているわけで、バイトも探究も同じように評価されてもおかしくはありません。

もちろんお金が発生している=お客さんは成果を出すように追求してくるでしょう。

 

バイトがダメとか良いとか、探究が良いとか悪いとかではなく、探究そのものも、バイト的な考え方があってもいいんじゃないかと思っただけです。全ての人間に探究テーマがあるわけでもない、自分にとってプラス(稼ぎ)になるから探究するというのもアリでしょうと。

であれば、出発点は個人の内面や意志、意欲でなくても、人から言われたこと(いわゆるバイトのように)を皮切りに探究がスタートしてもいいでしょうし、もちろん自分の意志に基づいて探究をスタートするというのもいいでしょう。
 
自分の探究テーマなら努力できる、がんばれるというのはよくわかりますが、それができない人もいるということもわかっていてほしいなと思います。
自分のテーマがあればいいですが、そういう崇高なものがなくてもできる探究っていうのも目指す形なんじゃないかなとも思います。
 
企業が求めるのが結局「バイト経験」であればなおさらそう思います。もし、社会人経験としてバイトが求められるのであれば、その人にテーマがなくてもよいということでもあります。
 
僕的には、バイトしてもいいし、探究してもいいし、ボランティアしてもいいと思います。本をめちゃくちゃ読むというのもいいと思います。
どれが良くて何が悪いということではなく、自分で選べばいいんじゃないかなと思います。どれを選んでも、探究的な思考ができるようになるのが探究活動の最終的な目標とも思います。
 
残された課題は、探究やボランティアをした際の「報酬」が一体なのかがです。それは単位なのか、賞賛を浴びることなのか、それはまた別の話。
 
それでは、おのおのぬかりなく。