いつになっても試行錯誤と学びの毎日

とある教育コーディネーターが学校でやってきた実践と失敗の数々

コーディネーターを核とした高等学校改革についての個人的な感想(ひっそり)

コーディネーターを核とした高等学校改革に関するイベントがあるということで、思うところを書いてみましょう。

 

まず、高等学校改革について、教員以外の外部の人間が関わるという点については賛成です。教員の働き過ぎ問題がある中で、高等学校改革に人手を割くのは本末転倒です。また、「チーム学校」の推進という意味でも大事なことです。

 

ただ、現役のコーディネーターの立場で見ると、理想・夢を語るだけでは何も生まれないのも事実です。

 

●「高校と地域をつなぐ コーディネート機能の充実に向けて」

https://www.mext.go.jp/content/20200323-mxt_koukou02-100014267_02.pdf

を読むと、高校と地域をつなぐためのコーディネート機能を担う人材として、専任コーディネート人材(=コーディネーター)と地域連携担当教職員が必要であるとあります(P.19)。

 

確かに、高校と地域がつながることで、教育活動が高校内だけでなく地域社会で行われ、生徒の主体的な活動が増えていくのは事実です。「■■したい」という主体性をもとに、その■■を達成するために必要なスキルを学ぶという動機が生まれ、日々の学習にも前向きになります。また、自分が身に付けたスキルを地域社会で発揮することで、認められる機会が増え、社会参画へも前向き=人間性の向上につながります。

 

良い事づくしですね!

 

ただ、もちろん生徒たちの前向きな姿は頼もしいのですが、実際に現場にいるとその陰で先生方が時間をかけて準備している=Unsung Heroesであることは、頭の中で理解していても、文句を言うようなことはあまりありません。

その意味で、その業務を肩代わりしてくれるコーディネート人材は教員の負担減にとっては大きいと思われます。

ただ、それは、アウトソーシングでしかないのでコーディネーターを増やす=教員の人数を増やすことと代わりありません。

コーディネーターの予算

令和4年度概算要求の「新時代に対応した高等学校推進事業(P19)」

https://www.mext.go.jp/content/20210827-mxt_kouhou02-000010167_1.pdf

においても、問題なのは、コーディネーターの重要性を意識しながらも、各学校に配置する予算は算出されていないことです。

全国に約4,800校ある高等学校ですが、各学校に1人コーディネーターを配置するとしましょう。

重要であるので、コーディネーターの年収を500万円としましょう。
単純計算すると、4,800校×500万円=240億円かかります。
 
あまりにもかかりすぎです。
令和4年度概算要求(P8)には、「教職員定数の改善 +54億円(+2,475人)」とありますので、仮にこの予算感で4,800人に増加させるとしたら、約2倍の110億円かかる計算になります。
 
これを文部科学省の予算で対応する予定でしょうか。
「高校と地域をつなぐ コーディネート機能の充実に向けて」のP40には、既存の制度の活用や「地域と学校の連携・協働体制構築事業」での経費見積が挙げられていました。地域学校協働活動推進員は2,200円/時間で、仮に1日8時間とすると17,600円、20日間働くと352,000円、12ヶ月だと4,224,000円。年収500万に近づきますが、このままだと文部科学省の中で240億円の予算を確保することになります。
 
う〜〜ん… 本当に、で、できる?という感じですね。
 
「高校と地域をつなぐ コーディネート機能の充実に向けて」のP41ではコーディネート人材にもカリキュラムマネージャー、コンソーシアムマネージャーの2種配置することも提案されています。
こうしたコーディネート人材においては、つなぐという業務にとどまらない業務が求められ、普通のコーディネーター以上の時給(付加価値)が必要になります。
となると、年収500万円を大きく超える可能性が高いでしょう。
 

業務の不明確さ

学校に配属されるとなると、業務範囲外の業務を求められる可能性が高くなります。
私は一応職員室に常駐しているコーディネーターで、また制度化される前に働き始めたコーディネーターとして、ICTの支援や探究学習の教材開発、生徒募集など地域と学校をつなぐことを中心に、いろんなことをやっています。
 
仮にこれが、月に何日か、求められたら業務が発生するという働き方であれば、気軽に先生が人に頼るという風土、土壌が生まれにくく、コーディネーターという存在が教員に利活用されにくくなる可能性があります。カリキュラムマネージャー、コンソーシアムマネージャーのような、いわゆるプロデューサー的な立場であれば、常日頃から現場にいる必要はありませんが、ディレクター的な立場としてのコーディネーターは常に現場にいる必要があるでしょう。
 
この時、きちんと業務委託されていないと、業務範囲外まで求められ、コーディネーターが学校の中に内部化され、コーディネーター一人=教員一人扱いされてしまう可能性あります。
コーディネーターの業務をマネジメントする必要があり、そのコストもかかってくるでしょう。
 

コーディネーターは高校改革の「銀の弾丸」になるか?

そもそもコーディネーターは、高校改革の課題に対する「銀の弾丸」なのでしょうか。
コーディネーターはただ単に、地域と学校とをつなぐ存在なのです。つなぐだけで改革が進むとは思いません。多くの学校にいる今のコーディネーターが機能しているのは、そのコーディネーターの持つポテンシャル、熱意等が大きいためでしょう。
 
「コーディネーターを核とした高等学校改革」には不文律があるはずです。
そもそも改革したいと思わない学校ならコーディネーターは異端分子にしかならないでしょう。改革がスタートしている学校ならよいですが、コーディネーターが単独で改革を起こすのは、逆向きの結束が固まり、改革は失敗に終わります。
 
たった1人で高校改革の進め方を柔軟に対応することができるビジネスマンを年収500万程度で雇うのは不可能です。
やる気や熱意を問うのは野暮なものです。仕事をする上で頑張るのは当たり前ですので、あとは専門的なスキル等にかかってきます。1000万クラスじゃないと無理です。
 
その無理を承知で高校改革をするのであれば、すでにいる教員や管理職、地域の意識改革が先行するという前提で、「コーディネーターを核とした高等学校改革」は叫ばれているのです。
 
ということは、コーディネーターを導入すると同時に、高校内での改革が進み、それが相乗効果を生むことが必要です。
外から、中から、が同時に展開されなければなりません。
 
「コーディネーターを核とした高等学校改革」は、「コーディネーターを核としたチーム学校による外からの高等学校改革」ということなのでしょう。コーディネーターを含む、チーム学校が機能する仕組みを作らなければなりません。
 
高校改革に銀の弾などなく、リーダーシップとマネジメントの両面から、ウチとソトの両面から、仕組みを考えて少しずつ変えていくほかないのだと思います。
 
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コーディネーターを銀の弾丸にする改革には反対ですが、改革するということには賛成です。ただ、誰か一人に任せるのではなく、リソースや仕組みの面から変えていくという方向で考えていきませんか、というご提案の話。
 
それではおのおのぬかりなく。