そういえば豆まきしてませんでした。
豆を蒔く時に「鬼は外、福は内」って言いますが、「福は内、福は内」だけじゃないのはどうしてでしょう。
こっちの方がポジティブな気がしますよね。なぜ「福は内、福は内」じゃないんでしょうか。
これを学校現場に当てはめてみると良いでしょう。
学校現場のキャパシティは一定です。
教員数や機器、時間、などに限界があるからです。
学校で福=新しい成果を手に入れるためには、新しいことにチャレンジしなければなりません。
例えば平和学習、環境学習、SDGs学習、金融教育、ありとあらゆる要求が社会(主に経済側)から学校に押し寄せられます。
上からやれというからには、やらざるを得ません。
その結果、多大なる負担が教育現場に押し寄せてきて、体力がある教員により多くの仕事が回ってくることになります。
しかし、現場では体力があればいいという現場ではありません。
児童・生徒に対する指導や授業があるので、指導力や教材研究力も必要です。
まさに「超人」です。何でもかんでも求められる存在、それが超人としての先生です。
私は高校現場にいますが、高校の教員がまるで小学校の先生のように、さまざまなスキルを必要とされています。カウンセラー、キャリアコンサルタント、ライフセーバー、ポリス…
これはまるで、「福は内、福は内」といいながら、入ってくるのは鬼ばかり。
一昔前は、学校がいつまでも空いていて、不夜城となっていました。
今は不夜城にこそなっていませんが、強靭な体力のある先生たちが目に力を入れ、赤い顔をしたり、鬱に気味な、青ざめた顔をした先生がいる鬼ヶ島のような状態です。
「鬼は外、福は内」で大切なのは、新しい福を入れるためには、古いお荷物(鬼もつ)を出さないといけないということです。
キャパには限界があるから、「何をするかを考える」だけでなく、「何をしないかを考える」ということも同じように大事です。
新しい行事、新しい教育するなら、何かをやめないと学校現場はもう限界です。
これから新年度の計画を立てることになりますが、「何する?何する?」と福を呼び込もうとするだけでなく、「何削る?何削る?」と鬼を出していくことも忘れないようにしましょう。
この「何を削るか」に、その学校、その人の美学が現れてくるのです。
さ、次年度は何をしないでいきましょうか。
それではおのおのぬかりなく。