いつになっても試行錯誤と学びの毎日

とある教育コーディネーターが学校でやってきた実践と失敗の数々

「走り続けて何の意味があるの?絶対逆転なんてできないんだよ?」

総合体育大会(総体)が金曜から土日にかけて行われています。

前期と後期に分かれており、来週が後期の日程や準決勝、決勝戦などが行われます。

 

コロナ5類以降に伴い、保護者などが会場に入っても良いことになりましたので、私も参加し、写真を撮っておりました。

 

そこで感じた、部活度で培われる力について記載しておこうかと思います。

前提として、総体に限らず、優勝を決める大会では、参加人数に対して1校を除くすべてのチームは敗退しますよね。

トーナメントになると1試合、1試合が勝負で負ければそこで終了です。

 

プロチームになると、1試合に負けてもそこで終わりということはありません。

1年間かけて実験的な取り組みをしてもいいですし、最終的に総合力で勝つことが求められるでしょう。大会によっては、得失点で勝つということもあります。

 

負けることが濃厚だとわかった時に、なにをするか

試合の内容や残り時間の関係で、「どう足掻いても負ける」ことがわかる試合もあるでしょう。その試合中、選手たちはどんな思いでプレーするのでしょうか。

 

残念ながら、うちの生徒たちも負けがほぼ確定するという時間が訪れました。

それでも選手たちは下を向かず、ボールを追ったり、走り続ける姿がありました。

どんなに負けが濃厚でも、試合放棄をせずに必死にプレーする姿勢は、観る者を勇気づけます。希望を抱かせてくれます。

 

プロの世界では見れない光景が、高校生の公式戦では観ることができます。

(甲子園芸人などの括りで誰かが言っていたかもしれませんが)

 

もちろん勝てれば一番いい。

だけど、全国の高校の中でも1チームしか勝つことができません。

勝った時にどう振る舞うか、よりも、負けた時にどう振る舞うかよりも、負けることが濃厚だとなった時の試合中にどう振る舞うかが、その人の人間性が試される瞬間ではないかと思います。

 

「走り続けて何の意味があるの?時間が残りわずかで、十中八九負けちゃうよ?絶対逆転なんてできないんだよ?」

と問われたら、どう答えるでしょうか。

 

試合結果を諦めないという、「対相手」ではなく、「対自分」あるいは、「対サポーター」なのだと思います。

自分に正直でいれるか。本気でやったと言えるか。

これまで支えてくれた人たちに、胸を張っていられるか。

無意識のうちに、それらが体に染み付いていて、最後までプレーするのだろうと思います。

 

これこそが、部活動(体育会系)で培われるものなのだろうと思います。

3年間という長い時間の中で、少しずつ自分の中に溜まった学びがここに現れるのでしょう。

 

学びのファーストフード化 スローフード

いつも教育活動では、活動と評価をセットで考えます。

体験の後には振り返りを行い、学んだことを意識させるということを行います。

 

体験して振り返りの期間が短くなっているのではないでしょうか。

振り返りの期間が短くなることで、表面的・浅い学びしか汲み取ることができず、本当は奥の方に沈殿した深い学びを汲み取れなくなってしまうということが起きているような気がします。

これを、私は、「学びのファーストフード化」と呼ぶことにしました。

 

学んだことを早く意識させることは、確かに大事なこともあります。

1日限りのイベントで、その日に振り返らなければならないということもあるでしょうが、ゆっくり振り返るということも一方で必要でしょう。

学びのスローフード化は、とっさの場面での行動に現れてくるかもしれません。

 

逆転が不可能な場面でどう行動するかを教えるなんてことは野暮な話です。

それはプレーしている選手がプレーする中でしか得られないSENSE(感覚)のようなものです。

心技体で言えば、心にあたるものでしょう。

授業で先生が教えるという行為では体得できないものです。

 

部活動の地域移行の議論がありますが、プロチームではない高校の部活動だからこそ、この精神「負けるのが濃厚だとわかった時、どんな行動できるか」を頭の片隅においておくことが大事なのだと思います。

 

ということで、総体それでも最後まで走り続けるよう、おのおの、ぬかりなく。