いつになっても試行錯誤と学びの毎日

とある教育コーディネーターが学校でやってきた実践と失敗の数々

総合的な探究の時間の教材(歴史)のご紹介

テーマ別の総合的な探究の時間、今回は「歴史」です。

この歴史は邑南町の歴史なので、全く他の地域の方にとっては使い物にならないと思いますが、まとめ方や問いの立て方などは我ながら良い問いが作れたなと思いましたので、共有します。

ということで今回のラインナップはこちら。

 

 

 

ラーニングデザイン:写真から問いを立てる

実はこの手法は色々と使えるやり方です。

例えばコンテンツベースの教科横断の仕方を考える際、一枚の写真を使って、

「この写真から授業を組み立てるとしたらどのような授業ができますか?」というワークをしたとしましょう。

様々な教科の担当者が、自教科ならどの単元が当てはまるか、ということを考えて、付箋で共有するだけで、コンテンツベースの教科横断の一歩が生まれます。

 

という風に、「百聞は一見にしかず」ではありませんが、写真というメディアを通すことで、10人いれば10通りの感想を抱くだろうと考えました。

 

ただ一点、白黒印刷になることがあるので、実際に教材で配布するときには、スライドと連携させる必要がありますが…

 

 

ラーニングデザイン:冒頭で出した問いを、最後にもう一度考える

これから地域の未来を作る生徒たちにとって、今の地域は「何もない」と考える傾向が強くあります。

ところが、今ここに自分がいるという事実があるということは、代々受け継がれてきた=先祖がこの地で生きてきたからにほかなりません。

 

「何もない」と自分は思っていても、この地を選んで住んできた先祖がいるという事実を再確認するためにこの授業を計画したので、問いとしては、

「ほんとうに何もない土地だとしたら、なぜ人は住み続けているのでしょうか」

という問いにしました。

その問いに回答するために、授業を通じて様々な知識を獲得するように授業をデザインしたという形です。

 

それではちょこっとだけどんな内容だったかを解説してみましょう。

 

奥が深い邑南町の歴史

2021年、邑南町で、古代セイウチ類のネオテリウムの化石が見つかったというニュースがありました。

www.town.ohnan.lg.jp

地域的には、高海という地域です。

海という名前がついていることから、昔から海の生き物の化石が出ていたそうです。

地形と歴史は関係性がありますね。

 

銅鐸が出土したという事実が浮かび上がらせるもの

実は銅鐸も出土しています。

中野地域のあるバス停の上には、ミニ銅鐸が乗っています。銅鐸の技術は、渡来人の技術なので、昔は渡来人と交流があったということがわかります。

 

たたら製鉄

邑南町の歴史を語る上では、たたら製鉄の歴史は外せません。

矢上地域の盆地は、たたら製鉄の鉄穴流し(かんなながし)という技法によって、地形は大きく変形し、人工的に盆地になった地域です。

 

高校の前を流れる「濁川」という川の由来は、鉄穴流しで使った水路に土砂を流して濁ったということが由来だという説があるくらいです。

「鉄穴流し」は地形を大きく変える力がある一方で、お墓や木、祠などがあって信仰のために残った小山(丘)があります。これを鉄穴残丘と言います。

航空写真でアチラコチラに丘が見られますね。

 

たたら製鉄は農閑期に行う副業だったそうですが、たたら製鉄を行うためには、大量のエネルギー=当時は木炭が必要でした。木炭の生成に植林を行ったり、鉄穴流しの後の土壌を開墾するために牛の力が必要でした。

今、邑南町が赤松が町木になっているのもたたら製鉄の名残ですし、石見和牛の源流はたたら製鉄です。

たたら製鉄と農業は切り離せないものでもあり、それらを中心に、様々な産業が生まれ、循環していたことがわかります。

 

ちなみに、たたら製鉄を科学的に見ると、化学式が登場します。

当時の日本人は原理は分からなくても、体感し、後世に伝えていたんですね。

 

戦国時代の邑南町 鉄と銀が軍事的、経済的な基盤を支える

戦国時代は、毛利と尼子の戦いに巻き込まれた土地です。

山城も大小合わせると80以上あると言われています。

信長の野望にも登場する、口羽通良や多胡辰敬もゆかりのある場所です。

 

たたら製鉄は相変わらず続き、久喜銀山では銀や鉛が取れる土地として、

毛利の軍事的、経済的な基盤を支えたのが邑南町(の地域)です。

久喜銀山は、国指定の文化財にもなっていますので、ぜひ訪れてみて下さい。

www.kankou-shimane.com

 

町づくりに必要な要素とは?

本当なら、江戸時代、特に黒船以降の話も入れたかったのですが、時間の関係でここまでにしました。

ざっくりと、邑南町の歴史「たたら製鉄」や「尼子と毛利の争い」「久喜銀山」の話を紹介していますが、最初の問い「邑南町って何もない土地だったのか?」ということでに立ち返ると、実は渡来人との交流の痕跡があったり、たたら製鉄の経済圏が生まれていた、あるいは戦国時代に奪い合っていた場所だったということがわかりました。

これは、教材制作をしている最中に気づいた所でもあります。

 

大昔と今ではテクノロジーの違いはありますが、生きていくという本質は変わりません。

では、人が集まり、町を形成するために必要な要素とは何なのでしょうか?

歴史を見ていくと、何かがつかめるのではないでしょうか?

とまぁ、こんな感じの流れです。

 

ビスマルクの名言

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

歴史を学ぶ意味は何でしょうか?

人それぞれ答えがあると思いますが、未来を作るためかもしれません。

過去の人達、先祖はどのように暮らしてきたのか、何が大切だったのか。

情報の均一化やグローバリゼーションによって、都市一極集中になっていますが、地域が残してきた素晴らしい文化や伝統、その意味に思いを馳せることも大事だと思います。

 

今しか見ずに否定するのではなく、歴史から学び、地域を再発見する。

そして、自分の気持ちを再発見する。

そんな時間になればと思います。

 

ダウンロードコンテンツ:ワークシート_歴史

ということで、今回は少し邑南町の歴史を紹介しながら、ワークシートを共有します。

教育委員会の方に監修していただいた内容ですが、拙い説明で誤りがあったかもしれません。誤りがある場合は、そっとコメントいただけると嬉しいです。

drive.google.com

 

というわけで、おのおのぬかりなく。