こういう記事が飛び込んできました。
尾道という土地に詳しいわけではありませんが、尾道市の中心にある小学校・中学校で起きている問題です。
この問題を見て感じたことを書いていこうと思います。今日のラインナップはこちら。
www.city.onomichi.hiroshima.jp
議論を見てみると、どうやら「耐震工事」をきっかけに、どうせなら適正な児童・生徒数の確保のための統廃合という話に進んでいるような気がしました。
実際、児童数の推移を見てみると、山波小学校をのぞいて、どの小学校も10〜20人で推移しているようです。つまり1学年1クラスということです。
ここまで具体的な計画ができているということは、ずいぶん前から教育委員会事務局や教育委員会の中で議論を重ねてきたことでしょう。尾道教育委員会の担当者の方々には頭が下がります。
簡単に統廃合はやめろ!といえない状況
小学校が1校あるということは、平均して考えると、各学年に1人〜3人(6学年あるので、合計6〜18人)、教頭、校長、養護教諭、事務員の配置が必要になります。つまり、1校につき教員が10〜20人近くいることになります。
もちろん小規模校になると10人を切る状態もありますが、尾道市となるとこのくらいが適正でしょう。
尾道市の財政を見てみると、
https://www.city.onomichi.hiroshima.jp/uploaded/attachment/42645.pdf
約80人、月40万円の給与が出ています。
読み込みが浅いですが、仮に全額尾道市が出していると考えると、年間40万円*80人*12ヶ月=384,000,000円、約4億円を教員の人件費に充てていることになります。
3つの小学校、1つの中学校を一つずつにすると、児童生徒数は増えますが、当然教員の数は減ります。
今と同等の教育サービスを提供することができ、尚且つ財政的にも負担が減るとしたらこの上ない政策と言えるでしょう。
これが、「学校経営の合理化」の側面であり、統廃合を廃止せよ!と大きな声で叫ぶことができない理由です。
住民感情への配慮
しかし一方で、教育意思を持つ住民にとってはどうでしょうか?
自分の住む近くに学校があることは価値を生み出します。
この記事が全て正しいとは思いませんが、子育て世代の移住にとって学校が近くにあるのは価値が高いでしょう。バスで通うことになるとそれだけ交通費がかかりますからね。
ただし、資産価値が高くなるのは、需要者が増えている状況、つまり移住者が増えている状況や学校が新しく建てられた場合に当てはまることでしょう。
小規模校においてはもしかするとマンションなどの計画がない限り急激に資産価値が高まるということは考えにくいと思います。
また、オンライン学習が増えたとはいえ(逆に、オンラインが増えたからこそ)、「校舎・学舎≒学校」というイメージが明確になったかもしれません。
住民受けてきた校舎がなくなるというのは考えにくいことかもしれません。
また、「学校経営の合理化」というリストラによって、なぜ自分は転居を余儀なくされるのか、なぜ自分の子供は転校しなければならないのか。そのような「理不尽」は受け入れがたいものです。
特に移住をしたいと考える人たちの中には、「少人数だからこそ子供を通わせたい」という思いがある人もいるはずです。
統廃合が簡単に行うことができるというのは、日本の教育、特に義務教育では、どの学校もそれなりに同じような学習を行っているためです。
小規模校は例えば複式学級などで、異年齢の人たちとコミュニケーションをしたり、周りの地域住民が先生になって教えにきてくれたり、と良い教育効果を生み出す可能性もあります。
学校の統廃合はメリット・デメリットの話で終わるものではなく、イデオロギーの問題ともいえます。
このイデオロギーに対する配慮は難しいですが、乗り越えなければならない壁です。
合意形成に至るためのプロセス
おおよそこのような統廃合についての住民説明会では、イデオロギーの対立が生じます。その時重要なことは、合意形成に至るプロセスの設計はどうだったのか、という部分です。
統廃合だけではありません。例えば、人事の話もそうですよね。
2月頃に急に校長室に呼ばれ、内々示が発表され、いろんな顔をして出てくる先生を見てきました。「人事はどうにもならない」という前提の中で、どれほど日頃からコミュニケーションをとって人事を決定するかということが重要です。
若手の教員の夢や目標を聞いて、どのような資質や能力を身につけてもらうと学校にとっても、その人本人にとっても良いのか、を話す必要があります。
「希望する人事は◯◯だったけど、◯◯力を身につけてもらうと、グッとあなたの夢に近づくと思う。だから、希望する人事とは異なるけど、◯◯という人事なんだ」
というようなコミュニケーションができているでしょうか。
HAL研究所、任天堂の社長を務められた岩田社長(2015年に亡くなられました)は、HAL研究所を立て直す際に、全社員との面談をしていたそうです。それは、会社の方向性と個人の方向性のギャップがないかを確認するだけでなく、ゲーム開発に携わる中で、個人の持っている不満を話してもらうことで、士気を高めるということをされました。
任天堂の社長になってからも個人面談は続き(全社員とまではいきませんでしたが)、任天堂はDSやWillなどのゲームハードを生み出し、ゲーム人口の拡大を達成しています。
それほどまでに、個人面談(不平不満を述べても大丈夫な環境づくり)は大切なのだと思います。
市町村は、住民にとって所属している組織ではありませんが、生活に影響を与える組織ともいえます。個人面談とはいきませんが、住民説明会の前に、どのくらい本件に関して相談会を開いたり、ワークショップなどをしたか、というのは大事なことなのかもしれません。
意思決定のプロセスに関与してもらうというのは、住民の納得感を生み出すためにとても重要なことです。議論が全て出し尽くした後の説明会ではなく、その前の議論にどう携わったか、という点です。
残すことと同じくらい、「終わらせる」ことも大事な意思決定
私はコーディネーターとして、学校の存続のために日々行動しているわけですが、一方で存続がベストプラクティスなのかと言われると、胸を張って主張はできません。
魅力化のためにかけている税金は大きなものです。
「残す」というのは、政治家にとっては魅力的な言葉です。美しい言葉のように聞こえてきます。
ですが、延命措置として残すことは本当に正しいことなのか、とフラットで見なければなりません。延命するのではなく、「新生」として生まれ変わらせることで、人が流入し、税収が上がるということもあり得ます。
FF14(根性版)がバハムートによって破壊され、新生版になったことで、世界最大のMMOになったように、コーディネーターにとっては、「どう残すのか」と同じように「どう終わらせるのか、そしてどう新生させるのか」ということもしっかり考え、提言していく必要があるなと考えさせれた記事でした。
===
私自身は、まだ情報が足りないので、どちらの立場でもありません。勝手なことを言うな!とお叱りを受けてもしょうがないことです。あくまでも、現場の人間が考えた、ということで…
ということで、おのおのぬかりなく。