いつになっても試行錯誤と学びの毎日

とある教育コーディネーターが学校でやってきた実践と失敗の数々

教材紹介「学際科目:現代版アリとキリギリスロールプレイ」

先日、久しぶりの先生から「アリとキリギリス」の教材をもう一回送ってほしいと言われ、うれしくなりましたので、ここで共有しておこうと思います。

 

アリとキリギリスの物語で登場するキリギリスは働かず冬を越せず終いという結末ですが、私たちが眼にする「キリギリスのような人たち」や「アリのように見える人たち」の背景を考えるような教材です。

働かないキリギリスは、そうなりたくてそうなっているのでしょうか?

また、アリだったとしてもどのような思いで働いているでしょうか?

眼に見えるものだけが真実ではなく、そうならざるを得なかった事情に寄り添う教材になってい(ると思い)ます。

 

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教材開発の思い

この教材を作るきっかけは、「社会保障について理解してほしい」という声からでした。高齢化が進む地域では、福祉業界を目指す生徒も多いですが、その多くは「高齢者福祉」の業界です。

ところが、実際には「障がい」に対する福祉や児童福祉もある中で、1時間のコマで全ての福祉業界を知ることができないと判断しました。

そこで、ロールプレイ手法を使い、Aさんは高齢者福祉について、Bさんは障がいについて、など役割を元に、ある議論をし、最後に設定の解説を入れることで、福祉業界の広さを体感できるのではないかと考えました。

社会福祉協議会の方々のご協力

設定の解説では、「社会福祉協議会」の方々にお世話になることもあります。

地域の福祉の専門家として、様々なケースを簡潔にまとめていただくことで、よりリアルに福祉を感じることができるのではないかと考えました。

ありがたいことに、本校で実施した時にも来ていただき、解説していただきました。

 

自分の気持ちと当事者の気持ちの両方を持ってもらう

ロールプレイして何を議論するかと言うと、「そういう方を社会から排除するかどうか」という議論です。当然、「人にやさしく!」と述べていますが、本音のところどうなのかというところをまずは考えてもらい、その後、役になりきって(当事者として)議論するということを行います。

自分の気持ちは本音のところどうなのか、一方で当事者としての気持ちはどうなのかを両方考えることで、目を背けたくなるような問いについて「論理」と「感情」の両方を持ってもらいたいと考えました。

「私はどう考える」という立場や「当事者(あなた)としてどう考える」という立場は、人間を一個体としか見えておらず、社会的な生き物である人間の特性を活かしきれていません。社会保障社会福祉の観点で言えば、「自助・共助・公助」の3つの側面から考えるべきですが、「社会という枠組みでどう考えるか」という点を重視しました。

 

「現代版アリとキリギリスロールプレイ」は、家庭科や公共、保健の授業などで使える教材になります。どう使うかがわからない時はいつでもコメントくださいませ。

 

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果たして、○○力は必要なのか

なりたい自分のために目標を決めたり、そのために必要な力を得るということが大切だと伝えていますが、果たして本当にそういった力が必要なのでしょうか。

それは、「個としての力を磨かないといけない」という思考に縛られているかもしれません。そうなると能力の有無によって、人の優劣が決まってしまいます。

たとえば一団体、一チームの中で、その人単体ではあまり力を発揮しない人がいたとしても、総力戦になった時に人々の力を束ねて、何倍にもしてくれる人がいるかもしれません。「何もしないけど、いてくれるだけで力が湧いてくる、安心する」という存在はどうなのでしょうか。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉があるように、一個人の能力の有無ではなく、何もしなくても大丈夫な社会を実現する方が、よっぽどいいのではないかと考えました。

 

何か行動するのにも「何かの役にたつから」ではなく、「好きだから」とか「気になって」という理由でやるのもいいじゃありませんか。

そんな能力主義的な教育、消費としての教育に対するモヤモヤを思い出しました。

 

ということで、おのおのぬかりなく。

暑い日が続きますが、バテずに生きていきましょー!