いつになっても試行錯誤と学びの毎日

とある教育コーディネーターが学校でやってきた実践と失敗の数々

第6回SCHシンポジウム西日本に登壇させていただきます!(11/11)

広島県大崎上島町で行われる、第6回SCHシンポジウム西日本に登壇することになりました。

下記、引用です(お問い合わせのアドレスなどは削除しています)。

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お申し込みフォーム(↓)

forms.gle

趣 旨:SCHシンポジウム西日本は、高校生が地域で学び成長できる未来を目指して、学校と地域の協働について、地域と高校、行政といったセクターを超えた対話の場づくりを行い、互いの実践を後押しする場です。

日 程:メインプログラム⇨ 2023年11月11日(土)11時10分〜17時30分

オプションツアー⇨2023年11月12日(日)午前中

定 員:30名
実施方法:対面
メインプログラム予定:
(1日目)
11:10-11:40 開会挨拶、チェックイン、ガイダンス 
11:40-12:10 基調講演 (一財)地域・教育魅力化プラットフォーム 代表理事 岩本悠氏
12:10-13:00 ランチタイム交流
13:00-14:00 分科会 第1ターム
14:00-14:10 休憩
14:10- 15:10 分科会 第2ターム
15:10-15:20 休憩
15:20-16:20 分科会 第3ターム
16:20-16:35 休憩
16:35-17:00 振り返りディスカッション
17:00-17:20 発表タイム
17:20-17:30 閉会、記念撮影
 
<分科会テーマ予定> 
第1ターム
A)文科省「地域との協働による高等学校教育改革推進事業」振り返りトークセッション
B)魅力化高校卒業生トークセッション
第2ターム
高校生マイプロジェクトアワードin広島県 プレ発表会
第3ターム
A)第1回矢上高校プレゼンツ!チキチキ「地域と連携」ってどうするの?学校現場本音スペシャル〜!
B)大崎海星高校魅力化プロジェクトの10年・振り返りトーク
主催:第6回SCHシンポジウム西日本実行委員会・一般社団法人まなびのみなと
参加費:
社会人4,000円、大学生3,000円、高校生以下無料 
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SCHとは?・・・SCH とは School Community High School の略です。高校・行政・民間などのセクターを越えたネットワークを形成することを目的とした取り組みで、2015年から2021年まで、山形県東北芸術工科大学で 計7回のシンポジウムが開催されました。
2018年2月に大崎海星高校の生徒が 10 名参加し、「西日本で開催したい」という熱い想いを持ったことが起点となり、「SCH西日本」が立ち上がり、2018年夏から、これまで毎年1回シンポジウムを開催し、地域と高校の協働について学び合う場作りを行っている。
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この中の、

第3ターム

A)第1回矢上高校プレゼンツ!

    チキチキ「地域と連携」ってどうするの?学校現場本音スペシャル〜!

に登壇することになりました。

どのような内容を話すのかを少しお見せしますので、行こうかな、行かないかなと悩んでいる方はぜひ。ということで、今日のラインナップは、こちら。

 

タイトル

まずタイトルです。これはダウンタウンの番組のコーナーから拝借しました。

今回、SCH(スーパー コミュニティ ハイスクール)というイベントですので、地域と学校の連携の事例を紹介するよりは、その裏にある苦しみや辛さ、それをどう克服していくか(ある意味、しくじり)を伝えたいという思いで、「学校の本音スペシャル」という名前をつけました。

第2回は予定しておりません。

 

川上、川下の構造的な問題

これは文部科学省教育委員会ー学校、管理職ー現場(職員室)にも近いものですが、えてして我々現場は時間的制約や優先順位の関係で、上流で出てきた議論を十分に理解できぬまま、パンチラインワードとそれに関連する周囲の言葉を掬う、流しそうめんのような状態になっています。

流しそうめんで言えば、下にあるタルの中に、まだたくさんのそうめんが残っているのに、上から次々と流されてしまい、タルの中のそうめんが溢れんばかり…そんな状態です。

 

だからこそ、地域との連携も1業務として行うのではなく、2、3の事業と連携として行うべきなのだと考えました。

各学校で課題は異なると思うのですが、うちでは特に人手不足や企業からの要望をどう応えるかという観点(当然、生徒の生きる力の育成という点はある前提)で、連携をしているというものです。

 

川上から川下の流れ=トップダウンは悪いものではなく、組織としてそうあるべきです。ところが、そうめん流しのような状態に陥っていることを理解する必要もあります。

また逆もしかりで、鮭のように川下から川上へ遡上するようなパワーも必要です。川上へ弾込めせず、愚痴を言っても始まりません。川下は川下なりに考えて、遡上する方法を考えていきましょう、というような主張です。

 

学校と地域の橋をかける方法

学校と地域がつながるという時に、どのようなカードを切るかは、各学校や担当者の状況やスキルによって変わっていきます。一様に、こうすべきだというのは無意味です。

グッドケースをただ真似るのではなく、フレームを真似るべきなのです。

 

つまり、資源(ヒト、モノ、カネ、情報、時間、IP)の中でも、

・ヒト=地域の人をどう学校の中で位置付けるか

・モノ=学校のものや仕組みをどう地域の人と共有するか

・カネ=どのようなカネ(報酬)を出すか、どのようにカネ(謝礼)を出すか

・情報=個人情報をのぞいて、どのような情報を共有するか、どのような共有するか(ツールは何か)

・時間=教育課程内での連携か、外での連携か

・IP=地域と学校の連携によって、どのような地域、学校を作るか

というフレームに落とし込み、連携方法を探る必要があります。

 

学校と地域が一体になるのではなく、団体が異なるからこその良さがあり、別組織であることを重視すべきです。

また、一つのグッドケースが共有されると、その連携役であるコーディネーターにそのやり方すら強要されることになります。マニュアルや手法が共有されていることであれば問題ありませんが、ノウハウの共有が一切されていない中で目的ではなく手段の強要は望ましくはありません。

 

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60分のうち30分のみの時間ですので、話せる内容はこのような程度でスライドを作りました。当日は私だけでなく、主幹教諭とともに話をしますので、学校現場の特に校内組織の作り方なども話が聞けることと思います。

 

よければ、会場で。

ということで、おのおのぬかりなく。

 

 

 

 

 

総合的な探究の時間の教材(学校の統廃合問題)のご紹介

総合的な探究の時間では、現代社会(の課題など)をテーマに、AかBかという究極の選択について、自分はどう考えるか、それは他者とどのような点が同じで違うのかということを体験してもらい、相対的な自信の立ち位置を理解してもらう、ということを意識しました。

その意味で、ジレンマが生じうる現代社会の問題は、教材になるのですが、情報が非対称である=偏りがあることが多いため、教材制作者の側で情報を補完する必要があります。その作業は、理性と感情の補完をする作業であり、生徒の側も自然とできるように、ワークシートを作って行きます。

 

さて、今回は学校の統廃合問題を取り上げました。教育をテーマにしようと思ったのですが、当事者である生徒に、教育の理想像を語ったり、教員の働き方などを扱うのではなく、町との関係性という意味で、学校の統廃合にスポットを当てました。

 

ということで、今日のラインナップはこちら。

 

 

ラーニングデザインのポイント①:新聞の読み込み

前述の通り、現実社会の問題、しかも今回は江津高校と江津工業高校の統廃合について取り上げました。昨年度まで自分の進路選択の一つになっていたであろう高校同士が統廃合になるということで、より自分ごとになるだろうと考えました。

津高校と江津工業高校の統廃合の記事は、実は複数ありましたが、これまでの変遷や取り組みが書かれていたものを選択しました。

 

新聞には、学校存続のために必要な運転資金や人件費がいくら必要なのかが明確になかったのは残念ですが、いろんなデータや資料を参考に「数字」を提示しました。

あ、もちろん今回の事例ではないですし、高校運営にかかるお金の話ではないですよ。

ある論文の中に「各学校が毎年どのくらいお金を使っているのかは開示されていないのは今後の課題である」とありましたが、なかなか難しい気がします。

公立なので事務方にデータは揃っていると思いますが、私費会計は別扱いなので、正確なデータは取りにくいなと思いました。

本当はきっちりと取っておくべきなんですが、各学校で開示してしまうと学校ごとに攻撃される結果になるだろうと思いますのでね…

 

ラーニングデザインのポイント②:賛成・反対どちらも考える

もう一つは、賛成・反対どちらの意見も考えるという点です。

自分の意思と異なる逆の立場の意見も考えるということで、ディスカッションである「反駁」を考えるということになります。

相手の立場を考えろ、というのではなく、具体的に「賛成の意見も、反対の意見も考える」としました。

 

前述の通り、ジレンマがある状態で、どっちつかずな意見ではなく、Aである!もしくはBである!と公言する状態を作ることで、自分の価値観に触れるという状態を作り出そうと考えました。

もちろん現実には二兎追って二兎追えるような施策を考えるべきですし、そうならないためにどうすべきかを考えるのですが、個人の思考の偏りを意識し、自分と対話できるようにと考えていきたいと思いました。

 

少し反省した部分

少し「学校の統廃合をしてもよい」と考える側に寄りすぎたなと思います。

お金がかかるんだという面を示しすぎた気がします。

学校統廃合という点で言えば、

①経営:費用(税金)

②教学:教育効果

③影響:地域、感情

の3点を、メリット・デメリットの両面で考えなければならなかったなと思います。

 

とは言え、新聞記事やネットニュースでは、③影響の面だけを取り上げる傾向にあるので、将来同じように学校の統廃合の話が出た時には、感情論だけではなく、冷静に考えようという姿勢になれば良いと思います。

特に、こういう議論の場合は当事者意識がないことが多く、今は「別に…」と思うこともある生徒が多いかもしれません。

感情の面と理性の面の2つで物事を捉え、コミュニティに属する人間としてどのような判断をするのか、それを是とするために、どのような行動をとるべきかを考えなければ、社会は前に進んでいきません。

嬉しいか嬉しくないかの2つで判断しがちな生徒たちですが、シビアに現実社会のニュースを捉えてもらえるといいなと思います。

 

ダウンロードコンテンツ:学校の統廃合問題

さて、ワークシートはこちらです。新聞記事は省いていますが、調べたら出てきます。A市だとかA高校とかその辺は新聞記事に合わせて修正してください。

drive.google.com

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ということでおのおのぬかりなく。

 

総合的な探究の時間の教材(まちづくり)のご紹介

高校の総合的な探究の時間で使用できる「まちづくり」を体感できるワークシートを開発しました。

ワークシートにも書きましたが、名作ゲーム「SimCity」の要領で、町を考えます。

SimCityは土地だけ与えられて、ゼロから町を作りますが、現実社会では町をゼロから作ることはないので、すでにある程度町が成熟しているところからのスタートになります。ある意味、「市町村合併」をした時の町をどう設計するかに近いかもしれません。

高校の総合的な探究の時間を想定しましたが、中学校や小学校でも実施できるだろうと思います。

こちらがワークシートです↓

 

ということで、今日のラインナップはこちら。

ラーニングデザインのポイント:シミュレーションする

ラーニングデザインとしては、「シミュレーション」を重視したデザインにしています。ある町の地図情報を読み解くことからスタートし、ここに住む人たちはどのような生活を送っているんだろう?と想像することで生活の利便性とは何かを考えてもらいたいと思いました。生活の利便性を考えるということは、裏を返すと、生活の不便さ、お困りごとを考えるということです。

 

それを解決する時に、町長だったらどうするのか。町長ではなく、自分だったらどうするのか。こんなことを考えてほしいと思い、デザインしました。

 

お題としては、

あなたは、7,000人の町の町長です。町の7割森林、残り1割田んぼや畑という町で、高齢化率50%、子供の数も年々減少しています。町の基幹産業は農業です。町長として「誰にとっても住みやすい町」にしなければなりませんあなたは町長としてどのような町にし、町民の幸福追求を図りますか?地図に、建物等を書いていきましょう。

というものにしました。

ただ、無尽蔵に建物を建てることができるというわけではなく、

町長として作るべき建物(最低限の条件)

・役場、病院・警察・消防・郵便は、必ず1マスずつ設置すること(各100ポイント)

・学校は1マス設置してもよい(1マス使用可、100ポイント)

・高齢者福祉施設は2つまで設置してもよい(各施設1マス使用可、100ポイント)

・「○○な町」など、スローガンを決めること

・7,000ポイント保有しており、建物を建てるためにポイントを支払います。

これらの条件をつけています。

また、裏面には、さまざまな施設を作るために必要なポイントや、土地の改良のために必要なポイントをまとめました。

税金(ポイント)をどこに使うか、発生しているジレンマをどうやって解決するかを考えることで、現実社会に横たわるさまざまな課題に目を向けてもらいたいと思いました。

SimCityを選んだ理由

SimCityをモチーフにしたのは、何よりも「まちづくりが楽しく身近なもの」にしたかったからです。

ゲームのSimCityをプレイすると、シミュレーションのプログラミングが動き、街が変化して行く様がわかります。何をすればどうなり、その結果何が生じるのかという因果関係を理解できるようになっています。

例えば、生徒の中には、川のそばに工場を建てた生徒がいましたが、「環境汚染は?影響はないの?」と聞くと、「あ…」と時間を置いた後、「いや、クリーンエネルギーなんです」とプレゼンしてくれました。

ワークシートには工場とだけあり、その中身については触れていませんが、こうしたツッコミを入れることで、工場の中身について考えるきっかけになったかもしれません。

ゲームでは工場を建てると、環境汚染がひどくなるという関係しかありませんが、テーブルトークRPGのように、生身の人間がそばにいると、制約をある意味で飛び越えていけるそこが、ゲーム以上のインタラクティブ性がある授業なのだと感じました。

 

実際、SimCityを使って、町を再現した授業というのも考えました。

宮崎県のある自治体の役所では、近くの高校と連携し、シムシティ課を作って、高校生にまちづくりに参画させるところもあるようです。これはいいですね。

www.famitsu.com

(お金に余裕があれば、ChromebookWebブラウザで動くSimCityのようなゲームを作りたいものです。)

 

理想の町を考える時に、SimCityを使ったり、あるいはレゴを使ったりと、イメージしやすいい具体的なツールを使うことで、足りない部分を想像力で補ってもらい、現実社会の町に目を向けるということがしやすいと思います。

 

進路を考えるために…町の未来と自分の未来を重ねて考える

「まちづくり」の授業のために作ったものですが、本当は自分のキャリアを考えるための導入の授業なのです。

この授業の後は、教育をテーマにしたものや食と農をテーマにしたもの、福祉をテーマにしたものなど、1授業完結であり、まちづくりに関連する授業を行う予定です。

そうした、ジレンマを抱えた現実社会の諸問題を扱ったのちに、もう一度まちづくりのワークをしたら、どんな変化があるでしょうか?

あるいは、そんな町での自分のキャリアをどう考えるでしょうか?

これが、一連(7時間程度)の授業の構成になっています。

7時間後は、どのような変化があるでしょうか?あるいは、そういった諸課題がある中で、自分はどのような取り組みをしたいと思うようになったでしょうか?

これらを確かめたいと思います。

 

ダウンロードコンテンツSimTown〜机の上で町づくりシミュレーション〜

ワークシートはこちらです。ぜひ一読してみてください。そして、感想や改良ポイントをぜひ教えてください。

drive.google.com

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ということで、おのおの抜かりなく。

高校魅力化はコーディネーターよりも「社長」がいるかが鍵

高校魅力化に携わって、8年が経とうとしています。

これまで、「高校魅力化にはコーディネーターが必須である」という趣旨の提言をなんどか見てきました。学校という組織に、外部人材を入れて、「チーム学校」を作り出すという意味ではとても重要なことだと考えていますが、コーディネーターという得体の知れない横文字を入れることが銀の弾丸ではないことは、以前こちらの記事で述べた次第です。

someunsungone.hatenablog.com

最近になって思うのは、コーディネーターではなく、社長が必要なのではないかということです。これは、今のコーディネーターを民間の社長にしろという意味ではありませんよ。ということで、今日のラインナップはこちら。

 

高校魅力化とは課題解決である

今はそうではない要素がありますが、もともと高校魅力化は生徒数減による高校の統廃合という課題がありました。

統廃合すると、高校がある地域が衰退し、人口減が加速していきます。

その原因になっているのは、高校の統廃合、その決め手になるのが生徒数となります。

 

生徒数増という課題解決のために、誰が、何をするのでしょうか。

その学校のある自治体はそもそもU・Iターン者確保のために地域の魅力をPRする必要があり、そのノウハウが溜まっていると考えられます。自治体は生徒を集客するという部分で強みがあり、かつそのノウハウを学校に共有することで、学校の発展が考えられます。

学校は、その学校でしかできない教育、学びを生み出すことを行い、生徒が活躍し、魅力を生み出していくことが求められました。

これが、平成25年頃から始まった高校魅力化のおこりです。

つまり、高校魅力化の始まりは、自治体と高校の課題解決と言えるのです。

 

しかし、魅力ある教育内容は課題解決のためとはいえ、直接的にそのサービス(という言い方は適切ではありませんが)を受けるのは在校生です。なので、教育の目的である「生徒の育成」という視点も重要です。

魅力ある教育をすることで、現在いる生徒が魅力ある人材に育ち、地域に対する良い影響や地域にUターンしてもらったり、故郷に錦を飾るということが期待されます。

 

高校魅力化という言葉の中には、生徒募集や魅力ある教育の創出という課題解決策があり、さらに魅力ある教育の創出は、在校生の育成という学校の別の施策に影響を与えます。

これが高校魅力化の特徴です。

課題解決のための施策が、また別の施策になっているという状態です。

 

手段が目的化している状態

こうした高校魅力化の始まりの中では、コーディネーターが必要でした。何を調整(コーディネート)するのかといえば、生徒募集の側面では自治体と学校、魅力ある教育の側面では学校と地域、です。

その地域(自治体、学校)にある資源を把握し、組み合わせる(マネジメント)ことで、資源を無駄なく使用し、成果を出すことが必要になります。

それがコーディネーターという存在だったのです。

 

ところが、今は主に「魅力ある教育」という側面にのみ「コーディネーターの必要性」が叫ばれています(これが、前述の記事にあたるものです)。

「魅力ある教育」という言葉に「魅力」が入っているため、高校魅力化とイコールになりがちです。ところが、もともと「魅力ある教育」は課題解決の手段でした。その「魅力ある教育」が目的化してしまい、何のためのの魅力ある教育なのかが問われます。

当然、教育機関なので、教育を行うのは当然なのですが、この文脈を知らないと、「今の教育で十分じゃない」となってしまいます。

「魅力ある教育」に絞った活動にするのであれば、「魅力ある教育」は課題解決なのだという考え方、誰にとっての何がボトルネックなのかを考えなければならないということです。

その結果、地域と学校をつなぎ、調整(コーディネート)することが手段だと思えば、コーディネーターを雇えば良いし、教える人が不足しているのであれば教員を採用すればよいと考えます。

 

高校魅力化という商品は誰の課題を解決するのか

こうしたことを考えると、高校魅力化の仕事の要件として求められていることが、生徒募集なのか、魅力ある教育なのか。あるいはその両方なのか。

またその商品を享受するのは誰なのかを見極め、適切に提案をしなければなりません。

 

もし、以前のような統廃合の危機という課題に対しての高校魅力化を提案するのであれば、生徒募集から魅力ある教育、さらに近年では資金調達まで、全てにフルコミットして課題解決を提案、実践する、ある種の起業家・社長的な人が必要になるでしょう。

 

魅力ある教育というサービスを提供するのであれば、さらに課題を深掘り、適正な価格であるかどうかを見極めなければなりません。その意味でも、起業家的な要素が必要になります。

場合によっては、教員の働き方改革、学校のDX化、ということだけでも、担当できる人は限られているはずです。

一体、自分の学校にはどんな人が必要でしょうか?

 

===

高校魅力化はとても良いムーブメントです。

ある意味流行としてこれからも広く日本、あるいは世界に輸出してもよいものになっていくでしょう。

その時、コーディネーターという存在が鍵になるのであれば、その要件定義は必要不可欠であり、ボトルネックはどこにあるのか、その深掘りがとても重要になります。

今一度、うちの高校の、自治体のボトルネックはどこにあるのか、そのためにどのような課題解決をすればよいのかを考えてみましょう。

そして、その解決をするためにどのような人材が必要なのかを考えてみませんか?

 

ということで、おのおの抜かりなく。

尾道市の小中学校統廃合の記事を読んで

newsdig.tbs.co.jp

 

こういう記事が飛び込んできました。

尾道という土地に詳しいわけではありませんが、尾道市の中心にある小学校・中学校で起きている問題です。

この問題を見て感じたことを書いていこうと思います。今日のラインナップはこちら。

 

www.city.onomichi.hiroshima.jp

議論を見てみると、どうやら「耐震工事」をきっかけに、どうせなら適正な児童・生徒数の確保のための統廃合という話に進んでいるような気がしました。

実際、児童数の推移を見てみると、山波小学校をのぞいて、どの小学校も10〜20人で推移しているようです。つまり1学年1クラスということです。

ここまで具体的な計画ができているということは、ずいぶん前から教育委員会事務局や教育委員会の中で議論を重ねてきたことでしょう。尾道教育委員会の担当者の方々には頭が下がります。

 

簡単に統廃合はやめろ!といえない状況

小学校が1校あるということは、平均して考えると、各学年に1人〜3人(6学年あるので、合計6〜18人)、教頭、校長、養護教諭、事務員の配置が必要になります。つまり、1校につき教員が10〜20人近くいることになります。

もちろん小規模校になると10人を切る状態もありますが、尾道市となるとこのくらいが適正でしょう。

尾道市の財政を見てみると、

https://www.city.onomichi.hiroshima.jp/uploaded/attachment/42645.pdf

約80人、月40万円の給与が出ています。

読み込みが浅いですが、仮に全額尾道市が出していると考えると、年間40万円*80人*12ヶ月=384,000,000円、約4億円を教員の人件費に充てていることになります。

3つの小学校、1つの中学校を一つずつにすると、児童生徒数は増えますが、当然教員の数は減ります。

今と同等の教育サービスを提供することができ、尚且つ財政的にも負担が減るとしたらこの上ない政策と言えるでしょう。

 

これが、「学校経営の合理化」の側面であり、統廃合を廃止せよ!と大きな声で叫ぶことができない理由です。

 

住民感情への配慮

しかし一方で、教育意思を持つ住民にとってはどうでしょうか?

自分の住む近くに学校があることは価値を生み出します。

www.e-home-akashi.com

この記事が全て正しいとは思いませんが、子育て世代の移住にとって学校が近くにあるのは価値が高いでしょう。バスで通うことになるとそれだけ交通費がかかりますからね。

ただし、資産価値が高くなるのは、需要者が増えている状況、つまり移住者が増えている状況や学校が新しく建てられた場合に当てはまることでしょう。

小規模校においてはもしかするとマンションなどの計画がない限り急激に資産価値が高まるということは考えにくいと思います。

 

また、オンライン学習が増えたとはいえ(逆に、オンラインが増えたからこそ)、「校舎・学舎≒学校」というイメージが明確になったかもしれません。

住民受けてきた校舎がなくなるというのは考えにくいことかもしれません。

また、「学校経営の合理化」というリストラによって、なぜ自分は転居を余儀なくされるのか、なぜ自分の子供は転校しなければならないのか。そのような「理不尽」は受け入れがたいものです。

特に移住をしたいと考える人たちの中には、「少人数だからこそ子供を通わせたい」という思いがある人もいるはずです。

 

統廃合が簡単に行うことができるというのは、日本の教育、特に義務教育では、どの学校もそれなりに同じような学習を行っているためです。

小規模校は例えば複式学級などで、異年齢の人たちとコミュニケーションをしたり、周りの地域住民が先生になって教えにきてくれたり、と良い教育効果を生み出す可能性もあります。

 

学校の統廃合はメリット・デメリットの話で終わるものではなく、イデオロギーの問題ともいえます。

このイデオロギーに対する配慮は難しいですが、乗り越えなければならない壁です。

 

合意形成に至るためのプロセス

おおよそこのような統廃合についての住民説明会では、イデオロギーの対立が生じます。その時重要なことは、合意形成に至るプロセスの設計はどうだったのか、という部分です。

統廃合だけではありません。例えば、人事の話もそうですよね。

2月頃に急に校長室に呼ばれ、内々示が発表され、いろんな顔をして出てくる先生を見てきました。「人事はどうにもならない」という前提の中で、どれほど日頃からコミュニケーションをとって人事を決定するかということが重要です。

若手の教員の夢や目標を聞いて、どのような資質や能力を身につけてもらうと学校にとっても、その人本人にとっても良いのか、を話す必要があります。

 

「希望する人事は◯◯だったけど、◯◯力を身につけてもらうと、グッとあなたの夢に近づくと思う。だから、希望する人事とは異なるけど、◯◯という人事なんだ」

というようなコミュニケーションができているでしょうか。

HAL研究所任天堂の社長を務められた岩田社長(2015年に亡くなられました)は、HAL研究所を立て直す際に、全社員との面談をしていたそうです。それは、会社の方向性と個人の方向性のギャップがないかを確認するだけでなく、ゲーム開発に携わる中で、個人の持っている不満を話してもらうことで、士気を高めるということをされました。

任天堂の社長になってからも個人面談は続き(全社員とまではいきませんでしたが)、任天堂はDSやWillなどのゲームハードを生み出し、ゲーム人口の拡大を達成しています。

それほどまでに、個人面談(不平不満を述べても大丈夫な環境づくり)は大切なのだと思います。

 

市町村は、住民にとって所属している組織ではありませんが、生活に影響を与える組織ともいえます。個人面談とはいきませんが、住民説明会の前に、どのくらい本件に関して相談会を開いたり、ワークショップなどをしたか、というのは大事なことなのかもしれません。

 

意思決定のプロセスに関与してもらうというのは、住民の納得感を生み出すためにとても重要なことです。議論が全て出し尽くした後の説明会ではなく、その前の議論にどう携わったか、という点です。

 

残すことと同じくらい、「終わらせる」ことも大事な意思決定

私はコーディネーターとして、学校の存続のために日々行動しているわけですが、一方で存続がベストプラクティスなのかと言われると、胸を張って主張はできません。

魅力化のためにかけている税金は大きなものです。

 

「残す」というのは、政治家にとっては魅力的な言葉です。美しい言葉のように聞こえてきます。

 

ですが、延命措置として残すことは本当に正しいことなのか、とフラットで見なければなりません。延命するのではなく、「新生」として生まれ変わらせることで、人が流入し、税収が上がるということもあり得ます。

FF14(根性版)がバハムートによって破壊され、新生版になったことで、世界最大のMMOになったように、コーディネーターにとっては、「どう残すのか」と同じように「どう終わらせるのか、そしてどう新生させるのか」ということもしっかり考え、提言していく必要があるなと考えさせれた記事でした。

 

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私自身は、まだ情報が足りないので、どちらの立場でもありません。勝手なことを言うな!とお叱りを受けてもしょうがないことです。あくまでも、現場の人間が考えた、ということで…

ということで、おのおのぬかりなく。

教材紹介「学際科目:現代版アリとキリギリスロールプレイ」

先日、久しぶりの先生から「アリとキリギリス」の教材をもう一回送ってほしいと言われ、うれしくなりましたので、ここで共有しておこうと思います。

 

アリとキリギリスの物語で登場するキリギリスは働かず冬を越せず終いという結末ですが、私たちが眼にする「キリギリスのような人たち」や「アリのように見える人たち」の背景を考えるような教材です。

働かないキリギリスは、そうなりたくてそうなっているのでしょうか?

また、アリだったとしてもどのような思いで働いているでしょうか?

眼に見えるものだけが真実ではなく、そうならざるを得なかった事情に寄り添う教材になってい(ると思い)ます。

 

drive.google.com

 

教材開発の思い

この教材を作るきっかけは、「社会保障について理解してほしい」という声からでした。高齢化が進む地域では、福祉業界を目指す生徒も多いですが、その多くは「高齢者福祉」の業界です。

ところが、実際には「障がい」に対する福祉や児童福祉もある中で、1時間のコマで全ての福祉業界を知ることができないと判断しました。

そこで、ロールプレイ手法を使い、Aさんは高齢者福祉について、Bさんは障がいについて、など役割を元に、ある議論をし、最後に設定の解説を入れることで、福祉業界の広さを体感できるのではないかと考えました。

社会福祉協議会の方々のご協力

設定の解説では、「社会福祉協議会」の方々にお世話になることもあります。

地域の福祉の専門家として、様々なケースを簡潔にまとめていただくことで、よりリアルに福祉を感じることができるのではないかと考えました。

ありがたいことに、本校で実施した時にも来ていただき、解説していただきました。

 

自分の気持ちと当事者の気持ちの両方を持ってもらう

ロールプレイして何を議論するかと言うと、「そういう方を社会から排除するかどうか」という議論です。当然、「人にやさしく!」と述べていますが、本音のところどうなのかというところをまずは考えてもらい、その後、役になりきって(当事者として)議論するということを行います。

自分の気持ちは本音のところどうなのか、一方で当事者としての気持ちはどうなのかを両方考えることで、目を背けたくなるような問いについて「論理」と「感情」の両方を持ってもらいたいと考えました。

「私はどう考える」という立場や「当事者(あなた)としてどう考える」という立場は、人間を一個体としか見えておらず、社会的な生き物である人間の特性を活かしきれていません。社会保障社会福祉の観点で言えば、「自助・共助・公助」の3つの側面から考えるべきですが、「社会という枠組みでどう考えるか」という点を重視しました。

 

「現代版アリとキリギリスロールプレイ」は、家庭科や公共、保健の授業などで使える教材になります。どう使うかがわからない時はいつでもコメントくださいませ。

 

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果たして、○○力は必要なのか

なりたい自分のために目標を決めたり、そのために必要な力を得るということが大切だと伝えていますが、果たして本当にそういった力が必要なのでしょうか。

それは、「個としての力を磨かないといけない」という思考に縛られているかもしれません。そうなると能力の有無によって、人の優劣が決まってしまいます。

たとえば一団体、一チームの中で、その人単体ではあまり力を発揮しない人がいたとしても、総力戦になった時に人々の力を束ねて、何倍にもしてくれる人がいるかもしれません。「何もしないけど、いてくれるだけで力が湧いてくる、安心する」という存在はどうなのでしょうか。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉があるように、一個人の能力の有無ではなく、何もしなくても大丈夫な社会を実現する方が、よっぽどいいのではないかと考えました。

 

何か行動するのにも「何かの役にたつから」ではなく、「好きだから」とか「気になって」という理由でやるのもいいじゃありませんか。

そんな能力主義的な教育、消費としての教育に対するモヤモヤを思い出しました。

 

ということで、おのおのぬかりなく。

暑い日が続きますが、バテずに生きていきましょー!